コミュニティを守るために人権を悪気もなく侵害する事がある件について

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どうもたんたんです。

 

最近なぜかスマホから記事を書くことが増えてきて時間はかかるのですけど結構快適にはなっています。

 

久しぶりに最近よく思っていることをブログに書いていきたいと思います。

 

人を何かに括って考える事について

 

 

今でも僕は無意識にしてしまう事でもあるのですけど、見ず知らずの人を属性として括って考えてしまうという事です。

 

 

確かにそうして見ず知らずの人を勝手に属性分けして考えた方が楽なんですよ。

 

でも楽な道ばかり行く考え方って思考停止でしかないんですよね。

 

コミュニティの中を覗けばそれぞれいろんな考えを持った人間がいます。

 

別に金銭のやりとりがないコミュニティならみんな平等な立場であるのは当然だと思っています。

 

みんないい大人で自分で判断して行動できる人が集まって出来上がっているコミュニティがほとんどです。

 

その人たちをコミュニティに依存している可哀想な人みたいに考えるのはどうかな?って思うようになりました。

 

出来るだけ個人として相手のことを観る癖をつける必要があるのではないでしょうか?

 

依存を高めないコミュニティ作りについて

 

 

 

自分に合う人間とだけ付き合っていけば幸せな人生を送れると思ってしまいがちです。

 

もちろん嫌な相手と無理して関わってしまうことは心身ともに悪影響ではあります。

 

しかし自分のことを理解してくれる都合のいい人ばかりを周りに置くことはコミュニティへの依存を高めてしまうのではないかと考えています。

 

依存が高まるにつれコミュニティは強度になっていくのですけど、自立心が強い人からすると居心地の悪い場所になったりするんですよね。

 

  • 特定の誰かが力を持ってしまう
  • 何が正義か悪かが分かりづらくなる
  • 井の中の蛙になってしまう

 

コミュニティの繋がりを強くしようとするとその分各個人の自由や行動が制限させるようになって居心地の悪い場所になってしまいます。

 

そうなるとコミュニティの正義を守るために個人への侵害に対して無頓着になりやすいです。

 

中への依存が強くなってしまうと外の世界が見えづらくなって客観的な行動がしずらくなるのかな?って思う。

 

この間のサロンでの事件に関してもサロンの為に個人への事後対応をしっかりできなかった訳ですし。

 

結局コミュニティの性質でもある依存の割合を下げて各個人が自由にいろんなことが出来るようにコミュニティを大きくしすぎなかったり、誰かが力を持とうとしない事が大事だと思ったりしています。

 

「親しき仲にも礼儀あり」は真実だと思う

 

 

大型サロンとかでよく無償で仕事をお願いするみたいな話をよく聞きますけど、結局コミュニティの繋がりを盾にして何でもありみたいな状況なのかもしれない。

 

そうならない為にも各個人がいくら親しくなろうとも礼儀を忘れずに相手をリスペクトした上で関わる事が大事ではないかと思っています。

 

とは言ってもそれを継続するのは難しくて僕も礼儀に欠ける言動をする事だってあります。

 

それでもその時にお互いに注意しあってコミュニティの平穏を守っていく必要はあると思っています。

 

『仲がいいから別にいいや』という考えで配慮に欠ける行動を繰り返してしまうのはコミュニティの崩壊を招きます。

 

「親しき仲にも礼儀あり」

 

これコミュニティを作って平穏に動かしていくにあたってとても大事なことだと思っています。

 

というか今日依存のためのコミュニティなんて基本的に本人のためにならない事が多いですからね。

 

さいごに・・・

 

あまりコミュニティというものについて考える事が少ないのですけど、なんかコミュニティにまつわる問題が最近多くてモヤモヤしていたので記事にしてみました。

 

結局コミュニティを維持する上である程度の社会性とコミュニケーション能力と相手を思いやる気持ちみたいなのが大事だと感じます。