頑固や曲がった事が嫌いな人間とは比較的距離を置いた方がいいという話
どうも現役介護士のたんたん(@tantan4423)です。
島根県で特別養護老人ホームで働き上京。東京の有料老人ホームで1年ほど夜勤専属の仕事をして再び島根に帰ってきました。
現在は島根の有料老人ホームで働いています。
普段は仕事をする傍らブログアフィリエントをして副収入を得て生活をしています。
今回は付き合わないほうがいい人間の特徴である
- 曲がった事が嫌い
- 頑固
な人について書いていきたいと思います。
曲がった事が嫌い=自分が絶対正しいという傲慢
『曲がった事が嫌い』という性格を自ら主張している人がいるけど、そもそも自分の言い分が絶対に正しいという思い込みが傲慢だし、それこそ曲がった考えだと思っている。
— たんたん@副業介護士ブロガー (@tantan4423) 2018年12月6日
頑固オヤジとか曲がった事が嫌いな人って美化されがちですけど、はっきり言って相当な実力を持っていない限り無能でしかないんですよね。
そもそも曲がった事=自分が知らない価値観を指すのであって、他人の価値観を受け入れないというのはさすがに致命的であると思っています。
別に1人で生きているならそれでいいかもしれないですけど、家族や友人や職場の人間など生きていくためには多くの人間と関わらないといけないです。
そのなかで「俺は絶対に正しい」という人間がいたらその関係がスムーズに進まないです。
その人が圧倒的な結果を出しているなら説得力がありますけど、結果も出していない普通の人がこのような態度をとっていたら単なる面倒臭い人でしかないですよね。
特にこの時代は非常に大きく変化をしていて仕事とかでもテクノロジーの発達もあって仕事のやり方にも大きく変化しています。
そのような時代の中で絶対的な正しさなんて誰も分からないですし、昔は正しかった事が今は間違いになっている事が多かったりします。
それを正さずに「僕は正しい、それ以外は間違っている」と主張することは傲慢で曲がった考えでしかないと思っています。
自分の好き嫌いでしか考えられない論理性にかけた人
頑固な人って客観的じゃなくて単に自分の好き嫌いでしか物事が判断できないという事だからね
— たんたん@副業介護士ブロガー (@tantan4423) 2018年12月6日
自らそれを主張するのは「私は無能です」と断言しているようなもんだから無能な人の話をわざわざ聞く意味ないよね
そもそも曲がった事の基準ってあくまで自分やその周りの人間という非常に狭い地点での観測でしかないです。
それを美化してきた人間もどうかと思いますけど、普通に自分の好き嫌いを他人に強要しているだけなんですよね。
その好き嫌いが正しいか正しくないか関係なく、「俺はこう思うからお前もこう思うべきだ」となっているのは流石に人間を知らなさすぎるのではないか?と思っています。
自分自身が変化に弱いという事をわざわざ公表している事時点で結構恥ずかしい事だと思った方がいいです。
自頭がいい人や優秀な人材はその時点で離れていきます。
わざわざ無能な人と関係を作っていきたいと思う人は少ないです。
頑固・曲がった事が嫌いな人は自分に危害を与えてくるケースが多い
実際に頑固オヤジに反対されて結婚ができない人の話とか聞きますけど、完全に人の人生に危害を加えていますね。
それがもし相手にとっての幸せを祈ったところで、自分の感情だけで相手に危害を加えている事実は変わらないです。
相手のことを思うなら無関心かしっかりとした客観的な事実を伝えるべきです。
仕事とかにしても電子化の導入とかの話になるとデジタル機器がろくに扱えない人が反対したりしていますけど、結局自分の好き嫌いでしか考えずに職場の利益に関して無関心だという事がわかります。
そのような人の存在が企業や個人に大きな損益を与えているのは言うまでもないです。
そのような人に権限を与えないように会社側は選考しないといけないです。
ちなみに介護業界はそこのところが上手くいっていなく欲にいう老害が居座る場所になっているかもしれないですね。
あまり老害とか使うのは思考停止で良くないかもしれないですけど、実際に変化が必要な時に転換できずに事業が潰れてしまうのは良くないと思ってはいます。
考えを全く変えないのは無能の証
頑固や曲がった事が嫌いというのは一種のわがままなんだと思います。
そのわがままに振り回す人も振り回される人も無能だと感じていて、そういう人からは距離を置いて何も話を聞かないということはした方がいいと思っています。
別に正しいとかは判断する人によってコロコロ変わるべきだし「正しい」と断言する事はできないです。
断定してしまうとそこで思考がストップしてしまって世界が一気に狭まってしまうのであくまで客観的、論理的に事実を話していける人になりたいとこの記事を書きながら感じました。