自己責任と社会責任の両方の意識をバランス良く持っていたほうが良い
どうもたんたん(@tantan4423)です。
最近ベーシックインカムの勉強をしていると、貧困は個人の責任だけだと感じなくなる事が多いです。
まぁ個人的な考えとしては自己肯定出来ないような風潮や教育に問題があると思っています。
結果として貧困になってしまったこともあるかもしれないです。
今回の記事では、自分や社会が100%悪いと言ったことはほとんど無いという事を伝えていきたいと思います。
自分の人生だから自分で責任を取るのが基本
自己責任と他人や社会のせいにする比率として半分半分にするということが大事です。
偏りすぎた考え方は、逆に生きにくさにも繋がてしまいます。
自分の責任と感じてしまいすぎたら病んでしまいますし、人のせいにするのも無責任ですからね。
自己責任の意識を持つことによって自分の人生をカスタマイズすることを楽しむことが出来るのは良いかもしれません。
自分の人生には自分の責任を持ってほしいということを書きました。
逆に自己責任の意識が強すぎてしまうと多くのことを抱え込んで自分で処理できなくなってしまうこともある。
そのバランス感で悩んでいる人も多いと思います。
自己責任を追求しすぎると病んでしまう
仕事とかにしてもそうなんだけど、自己責任を感じすぎてしまうと自己嫌悪に進んでしまう。
程よく自分い都合の良いように考える事が大事だけど、それって結構難しい。
ネガティブな感情が芽生えること自体はそんなに問題ではないけど、それを長引かせたり解消出来ないと病んでしまうから注意だ。
だいたいの行動は自分の行動の結果に過ぎないんだけど、中にはどうしようも無い事があって、それをいかに諦められるかが大事だと思う。
心の余裕を持つためにも時々人や社会のせいにして「運が悪かった」って思ってしまう方が良いのではないかと思う。
他人、社会のせいにしすぎても無責任過ぎる
かと言ってすべての責任を他人や社会に押し付けるというのも何か無責任だと思う。
他人や社会に自分の人生を丸投げしすぎていて、何がしたいかわからない。
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自分のすることに責任を持つということは信用にも繋がる。
他人と一緒に何かをする時に人のせいにしてばっかりの人なんて一緒にいてもつまらない。
自分の人生で起こったことを自分の責任として考えられない人は知らない間に不幸になってしまうことが多い。
しかし、この国ではけっこう自己責任論を毛嫌いする人が多い。
「みんな一緒に責任を分け合いましょう」など問題が起きた時の責任の所在が分からなくなってしまうことが多い。
何かのせいにして自分の人生をカスタマイズすることから逃げて、他者依存して生きても他人や社会の気分次第で左右される。
それは非常に不安定だし、僕なら病んでしまう。
そうならないためにも自分の人生に責任はある程度持っていたほうが良いと思う。
自分にちょうどいいバランスを探していく
自己責任と社会のせいを50%ぐらいの割合で考えるといいって〈持たない幸福〉でも書いてあったなあ。 https://t.co/iSqPlaQOft
— たんたん@夜勤介護士ブロガー (@tantan4423) September 24, 2017
自分にとってちょうどいい割合を探していくことは非常に面倒くさいことだとは思う。
確かにどっちかのスタイルを一貫している方が明らかに楽ではある。
しかし、そういう上手く生きていくことから逃げて欲しくない。
面倒くさくても自分に合った生き方や考えを緻密に練って更新していく事が結果幸せにつながると思っている。